AQUAのプロフィール

ながーい私の人生について書いてみます。(読み飛ばし推奨(笑))

何度かに分けて、私のこれまでの事を書いてみます。
(誰も興味ないと思うけど、自分の振り返りのために書きます)

昭和生まれ。何年かは秘密。

出身地は熊本県人吉市。

中学生の時に吹奏楽部に入部し、サックスと出会う。
(サックスについては別記事にしようかと思います。)

高校卒業後、福岡県福岡市に行き、某短期大学と某専門学校でITを学ぶ。

この時のメディアの主流はフロッピーディスクになりつつあったが、まだ「カセットテープ」にデータを保存していた時代。
フロッピーディスクもLPレコード(笑)並みにでかかった。

社会人になったころ、「マルチメディア」という言葉が流行しはじめ、Windows3.0が発売される。
※メジャーなのはWindows3.1だが、本当はその前に3.0があり、バグがあったため、すぐに3.1になった。

携帯電話は取得するのに権利?というか、保証金?というか、そんなのが20万くらいかかり、通話料もハンパなく高かった。
ノラさんの「しもしも?」のあの肩から下げる電話ですね。船舶電話って言ってました。衛星電話とか。
若者はもっぱら「ポケベル」を持ってました。

私が持っていたのは、このマンボウのポケベルでした。
妹とオソロイで買った気がする。

そして、めちゃくちゃ早くメッセージを打つオンナで有名でした(笑)この頃は既にブランドタッチをマスターしていたので、テンキーもめちゃくちゃ打つのが早かったんですよ。

ポケベルは「11」が「あ」というように、2桁の数字でできていたんですが
「こんにちは」だと、「2503524261##」とプッシュボタンで押しすとポケベルに「こんにちは」と送信される。

それがこの数字が、私が先生にバレないように友だちと一緒に手紙を交換するのに作った暗号と8割一致していて(笑)、とにかく打つのが早かった。

まぁそんなこんなで、福岡でこういう生活を送っていたわけですが、この頃の企業なんてみんなブラックでですね、残業が月100時間なんて結構ありました。アベレージが70時間でしたかね。
でも、この頃は私はプログラム組んでたんですけど、コーディングが楽しくて、どれだけ残業やってても楽しかったです。その時代が今の私を作ってますね。残業多いのがステータスみたいなところもありました(笑)

「24時間闘えますか?」が超流行した時代ですからね。
寝ずになんぼ!みたいなところありました。そして、そういう自分がみんな好きだったんじゃないかなー。時代ですね!

でも、私たちの親世代の高度成長期はもっとすごかったんだと思います。戦時中とかも。想像できませんけど。

それから所属していた会社が東京へ進出するというので、なぜか私は先発隊ということで、東京へ転勤させられました。東京には親戚も友だちもいたし、都会なのでワクワクして上京したわけですが、その後とんでもないことが起きます。

バブルの崩壊です。

バブルの崩壊は、あっという間にどうこうなったわけではなかったです。じわりじわりとやってきました。

まず、社長がいなくなりました(笑)
給料が出なくなりました。
住んでたマンションは会社の名義だったので、色んな支払いが滞り、出ていかざるを得なくなりました。

でも、ITスキルがあったので、仕事に困ることはなかったです。

そんなこんなで、東京に住むことになり、現在に至ります。

今回はAQUAの過去の①ということで、昔の事をこの「プロフィール」カテゴリに色々放り込んでいきたいと思います。